妊娠、分娩、育児という一連の行為は、生命(遺伝子)を次の代に伝える自然のものである。そして、この行為なくしては人類を含めて生物の存続はあり得ない。
したがって、自然そのものに文句のつけようはない。しかも、自然の本質は予測できないものである。
以上の事柄をふまえて、人類の進化した頭脳の中で、妊娠、分娩、育児について医学の倫理、技術を進めなければならない。
妊娠中に憎悪する疾患はもとより、妊娠末期には4〜5sにもなる胎児、羊水、子宮等の重量を腹部に四六時中抱えながら、次の出産に備えなければならない。
そして、満期安産で健康な子供を産み終えた場合、満足感に浸ることができる。
ただ、その課程で分娩中には思いもかけない痛み、恐怖感に襲われるときがあり、その上、如何に医学が進歩してきているとはいっても母子ともに生命の危険に会うこともある。
また、乳幼児期の子供は可愛い一面、寝ているとき以外は無力なくせに何を思っているのか、何をするのかはっきり分からない。
妊娠、分娩、育児の一連の流れの中で思いもかけない不条理な面がしばしば顔を出す。条理、不条理は貨幣でいえば表と裏の関係にあり、どちらが出るか分からない。これは人生そのものである。そして、妊娠、分娩、育児はその縮図であり、短い期間にいちどに経験しなければならない。その中に単に安らぎとか癒しという言葉にひかれてそれのみを探し求めてもどうにもならない。
要するに、喜怒哀楽はこの世に生まれた以上、ついて回るもので、これらに引きずり回されたり、否定するのではなく、それらをありのまま受け入れることによって、迷いのない安定した心身の落ち着きどころを見いだすことができるに違いない。これが本当の安心を得ることと思う。
妊産婦にとって、この目的のために最も適した無理のない弛緩法、呼吸法がある。
分娩では胎児を押し出す陣痛と、胎児が産道を通るために強いストレスがある。その上に自ら身体をこわばらせたり、いきんだりすると一層骨盤内の筋肉が固く、自然の陣痛をうまく利用できなくなる。その結果、胎児の下降を妨げ、弱らせる。このような場合に行う大切な呼吸法は、ただひたすら静かに息を吐きながら頸部、肩、腹部まで全身の筋肉の力を抜いてゆく。吐き終われば空になった肺の中に空気は自然に入る。緊張につながる吸う動作は決してしない。
しかも、この呼吸法の特色は、分娩のとき、心身の緊張と弛緩のバランスをとることにある。筋肉を緊張から解きほぐすことは、脳を鎮静、安定させることと同じである。
弛緩法、呼吸法をうまくすれば、どんな事態になっても心身の緊張がとれ、事実が事実としてありのまま受け入れやすくなる。
したがって、緊張した筋肉によって胎児を無駄に圧迫して弱らせることが少なくなるとともに、子宮、膣、会陰が弛緩して、裂傷を最小限度にすませることができる。そのことによって、ピンク色をした元気な子供が生まれ、同時に、明確な意識のもとで経過を体感でき、その感動を育児につなぐことができる。そして、次にくる育児についても、しつけは必要ではあるが、子供の思いを尊重し、親の一方的な考えを無理に押しつけることが無くなる。そして、母子ともに納得しながら育児が出来る。
以上のことがらを産科医療にたずさわる者は深く感じ取り、それを的確に妊産婦に伝え、共に新しい医療を組み立てるべきである。
平成18年11月
この文は兵庫助産師勤務部会ニュースレター3号(平成18年6月)に加筆したものです。
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