私がラマーズ法を知ったのは、昭和55年頃、尾島信夫先生の著書「新ラマーズ法図説」を読んでからです。以来、尾島先生、三森助産婦、正木助産婦、それから、お産の学校の杉山次子女史などの方々が主催される会にしばしば出席して色々と教えていただきました。
何が私にラマーズ法に興味をもたせたのか、その理由は呼吸法にあります。一般に行われている呼吸法は、もともと古くから行(ぎょう)として東洋に伝えられています。そのことは、以前から知っていたのですが、分娩の時に応用できるとは、はじめて気がつきました。
結婚式の祝辞のとき、よく「結婚生活にも山あり谷あり」という言葉をのべます。妊娠・分娩・育児についても同じ言葉が当てはまります。とくに、分娩の苦しいときにこそ呼吸法が役に立つのではないかと思ったのです。
私は、それまで2万人近くの子供を自分の手でとりあげました。しかし、振り返って見ると、自分でどうすることもできない場面があり、何かむなしい、これからどうしたら良いのだろうと思っていました。そのときに出会ったのがラマーズ法です。
これだと思いました。お産をする人にとっても、私自身のこれからの人生にとっても有益であり、一石二鳥の効果があると思いました。
そして、呼吸法についての原理をより深く、また、お産の時に行う特殊な呼吸法について諸先輩の考えを基に色々工夫をして参りました。
ともかく、このすばらしい方法を一人でも多くのこれからお産をする人、それを援助する医療関係者に伝えたいと決心したのです。
ただ、それまでのラマーズ法の会では100〜200名集まってもほとんどが助産婦、看護婦さんたちで、医師は多いときでも4〜5名のみでした。したがって、それぞれの助産婦、看護婦さんが自分の勤務する病医院に帰っても、医師の理解がなかなか得られず、ラマーズ法を行うことができないとの声が多く聞かれました。
そこで、医師によるラマーズ法の会をつくっては、と考え、大阪小阪産病院の竹村秀雄先生と東京オペグループの杉山四郎先生と相談の上、ラマーズ法研究会を立ち上げました。そして、病医院あるいは、助産所単位で入会していただくことにしました。
第一回目の会は、昭和61年9月、大阪で16名が集まりました。以来、年に1回程度、場所は、大阪・神戸を中心に北海道から沖縄まで十数か所で会を開き、しだいに、勤務している助産婦・看護婦さんたちも参加され、100名から多いときは300名以上の人々が集まり、多くの演題をめぐって活発に議論をしていただきました。
そして、平成14年10月神戸で20回目の会を終了しました。次の会は未定です。
ただ、インターネットの方が全国のより多くの、これからお産をする方、産科医、助産師、看護師の方々に新しく改めた部分を含めてお伝えできるのではないかと思っています。
しかし、私は大正15年3月生まれの老人です。公の場所にしゃしゃり出る歳ではないのですが、もう少し言い足りないことが頭の中をぐるぐる回っているので、身体の許す限り独断と偏見を混ぜながらこのネット上に書き込んでいきたいと思っています。
皆様のご意見をぜひおきかせください。
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